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良寛
この頃は朝早く起きて風山叢で野良仕事をやっている。
今日は、それを止めて「淡遠」原稿を書くことにした。
ところが折角の原稿が保存していたつもりで消してしまった。
さあ、もう一度と思うがどうも気が乗らない。
それで気分を変えて、ブログにしてみた。

良寛は意識的に下手に書いている。
上手に見せないというテクニックが磨かれている。
これは禅の修行から来る人の姿の在り方にかかわっている。
人に見えにくいところで何かを磨く行為が、
人間本来の初元の在りように繋がるのであろう。
これは日本独特の感性なのかもしれない。
中国から禅宗は来たが、
本家より、自分を消して、より強く主張するという
一種のフェイントに磨きを掛けるようだ。

中国の書には、
良寛、慈雲、白隠、仙厓らに潜む、
真似のしようのないヒューマンを
感じるものが少ない。
強いていえば八大山人くらいだろうが、
しかし、その韻きかたは淡泊である。

四人の中では良寛の書は禅味が少ない。
アーティストの色彩が強い。
書的な遊びを徹底適に楽しんでいるからであろう。
その真骨頂が六曲屏風に現れている。
空間を自在に飛び跳ねて宝石を散りばめているように
それは華麗に舞っている。
その技巧が、八一や守一に喜ばれない一因でもあるし、
他の三人との大きな違いであろう。

字形を流麗にくずしに崩している。
誤字とといわれても仕方のないくらい、
草書を自分化している。
この崩しかたが襌的であるのだが、
超絶技巧であることは確かだ。
一字一字よく見るととても凄いものであるし、
なんで、に出会える。

良寛は伝説の多い人であるが、
書を見ながら自分の良寛さんを
作るのも、
もしかすると、
創造といえるかもしれない。
by mteisi | 2010-08-23 10:04 | 書について


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