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審美眼
 間違いではなかったことは、41年前、津金隺仙先生の「審美眼を養うのが上達の捷道(はやみち)」という言葉を母への葉書の中にみつけて、それに徹して暮らしてきたこと。

 さまざまな取り組みをしたがその一つが、2ヶ月教室を休んの京都・奈良旅行。京都では古本屋で「秋艸道人の書」という會津八一の作品集が目に飛び込んできた。とても面白いと感じたので買った。旅行ガイドをみていたら「日吉館」という旅館が面白そうなので奈良へ行った。日吉館は奈良を楽しむ文人墨客のスポットで、なんと八一の常宿でもあった。看板も八一が書いたものだった。訪ねていったら奈良を楽しむ学生たちであふれていた。あらゆるすき間に布団を敷きつめて泊まらせていた。東京芸術大学の三井君と武蔵野美術大学の長枝君と気が合い、三人で奈良のあちこちを見て回った。

 二人も帰るということだし、結構見てしまったので良寛さんを見てみたいと新潟へ行くことにした。鎌倉の藍田先生に挨拶をして横浜の長枝君の家に立ち寄った。彼の家の調度品が魅力的で、とくに水屋は美しい物があふれて、普通の物だが普通ではなかった。彼のお母さんが染織家の芹沢銈介のお弟子さんで、柳宗悦の教えの中で暮らしを見つめているということだった。

 新潟では良寛を尋ね、會津八一記念館によったら、近所の書店に佐久間書店の扁額、文字の周りに赤緑黄色の彩色をほどこした棟方志功の書に出会った。帰りの京都では河井寛次郎記念館に立ち寄り、「樂在其中」と書かれた拓本の軸に度肝を抜かれた。泰山金剛経の存在を知った。今思うと、この時の旅行が実に多くのきっかけを作ったことを実感するが、その中でも一番大きな出会いは柳宗悦との出会いだった。旅を終えて、父の書架を見ていてら「柳宗悦選集」が目に飛び込んできた。辞典片手に選集を読み終えた時には、すっかり柳の虜になっていた。私の書家としての道はここから大きく方向を変えていくことになった。

 今回の「街の一隅」の存在は私に大きな力を与えてくれた。それは「審美眼が大切」という言葉を単に知識として胸に刻むだけでなく、それを日々の暮らしの中に常に活用してきたことが、この展覧会の原動力になったことを実感したからである。その重要性をこれからもしっかりと見ていきたい。
by mteisi | 2011-07-03 07:17 | 書について


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