これは宋代の三大書家の一人である米芾(べいふつ)の書。
私はこれまで米芾はつまらないと思っていた。
王羲之の手中にあると思っていたからだ。
ところが昨日見ていたら実に生きいきとして、
迫ってくるものがあった。
無学祖元という鎌倉時代に禅宗を伝えにやってきた
禅僧の書が浮かんできた。
米芾が入っていたんだと感じた。
祖元をとてもいいと思っていたので
米芾の見え方も変わってしまった。
そんなことを思いながら
虹縣詩巻を見ていたら
この日がでてきた。
十日隋花窈窕中
十日ばかりの桃源郷というのであろうか。
私達は五体字類や書道辞典にしばられていると思う。
こんなこと今まで考えたこともなかった。
良寛は誤字が多い人で済ませていた。
決まりがあるようで無いのが
透徹する人の知性であろうか。
自らの限界を突き抜けて
未知の世界に行くには
分かったことのアレンジでは
到底おぼつかない。
今の自分を否定する大きなエネルギーが
必要なのだろう。
たった日のことだけど
米芾の中には日の定形がないのだ。
型にはまっていると思っていたが
常に破ろうとする意図が充満していたのだ。
現代の書家には絶対この日は書けない。
頭が小さな領域の辞典になっている。