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荘子155
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六之二
故未終其天年、而中道之夭於斧斤、此材之患也、故解之以牛之白顙者與豚之亢鼻者與人有痔病者、不可以適河、此皆巫祝以知之矣、所以爲不祥也、此乃神人之所以爲大祥也、

故に未だ其の天年を終えずして、中道にして斧斤に夭す。比れ材の患なり。故に解するには牛の白顙なる者と豚の亢鼻なる者と人に痔病ある者とを以(もち)いては、以て何に適(ゆ)べからず。此れ皆巫祝以(すで)にこれを知れり。不祥となす所以なり。此れ乃ち神人の大祥と為す所以なり。

だから、これらの木はその自然の寿命を全うしないで途中で斧や斤のために命をおとすことになるのだが、これはものの役にたつそのとりえが招いた害である。そこで、厄ばらいの祭りには、額が白い牛と鼻が上を向いた豚と痔を病む人間とは、黄河の神に犠牲として捧げるわけにはいかないが、そのころは巫は祝もとっくに知っていて、だからこそ不吉なものだとされている。だが、そのことこそ神人によって大吉をされる理由なのだ。
by mteisi | 2016-02-12 07:28 | 荘子


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