カテゴリ:書について( 20 )
手紙を書こう
 最近は手紙を書くことがなくなったようです。私のように書をやっていても、お礼状を書くくらいで、なかなかこちらから書くことはありません。これでは書の文化はなくなってしまうでしょう。次の文は会員の方の指導のために良寛さんの手紙のことを書いたものです。一般の方もこういう書のことを知られたら、書もまた変わっていくかもしれません。深い思想的な物が書いてあるのかと思いきや、墨、豆、青銅四百文を恭しく受け取りましたと書いています。
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 良寛の手紙は無心が多くてなかなか面白いものです。ここでもいろいいろともらっているようです。書でことばを大事にするということは、こんな風に大事にすることをいいます。けっして気の利いたことばや、深かったりする必要はないと思います。そうであればいいでしょうが、最初からはとても無理です。書いて行くうちに時に飛び出したりするのでしょう。聞き慣れた道徳的なことばは却って退屈を呼び起こしてしまいます。何でもないことばでも、おやっと引っかかったりして新鮮なものです。
 私も手紙は時々書きますが、拝啓や前略などは使ったことがありません。失礼にならないようにその場の状況を計りながら楽しく書くことを心がけています。時に良寛スタイルを意識したりもします。良寛の手紙で解良氏宛の「道風の石ズリ」や、淡遠でも紹介したことのある「白雪羔少々御恵たまわたく候」は最高です。
 もともと筆無精なので書家には向いてないのでしょうが、でも、書くように心がけています。手紙を書くことが書の上達の早道だと思っています。
 今年の年賀状を印刷で出した方は来年是非とも書友に出す場合は筆にしましょう。それでないと書を学んでいる意味がありません。手紙をどんどん書きましょう。

by mteisi | 2015-01-23 21:40 | 書について
手の間
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「手の間」の表紙

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呵呵大笑

「手の間」の田中さんに頼まれて書や手仕事についての一文を書いてみた。
そこに漢詩もどきの夢文字を並べてみたのを、
色んな書体を混ぜて書にしてみた。
そして冒頭部分の紹介。

じゆうであることのまなび 

 自然の中から生まれた手仕事が、私達の回りから無くなってしまっている。字を書くことも無くなるかもしれない。手紙もメールや携帯に変わってしまった。これが時の流れというものだろう。しかし、それがいいとは思えない。流れを変えるとしたら今が最後の機会だと思う、書の場合でいえば歴史的な書の評価が出来る目がなくなったら終わりだ。今ならまだ善し悪しを見分ける審美眼を育てることが出来るかもしれない。目があればそこから面白いことが始まるのではなかろうか。そこで、手仕事の復活を願って夢文字を並べてみた。

呵呵大笑  カカタイショウ

颯左吹吹  サッサスイスイ
手取動動  シュシュドウドウ
真器善器  シンキゼンキ
美器來來  ビキライライ
一処混交  イッショコンコウ
呵呵大笑  カカタイショウ
腹腹來來  フクフクライライ
福來來   フクライライ

さっさすいすいこの気合い。
みんなでどんどん作ろうよ。
真善美器がやって来た。
みんなで一緒に、
大笑い。
またまたどっとやって来た。
福來來とやって来た。
by mteisi | 2013-06-23 09:05 | 書について
子供の書
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大輔君の力走と、関戸本古今の臨書

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望湖楼下 有一の書


大輔君が書く書はとても面白い。無茶苦茶さ加減が並ではない。
仮名の臨書も手許は見ないでひたすら関戸を見て書く。
この歪んだ構図は、私が好んでチャレンジするもの。
この重なり合いのいい加減さはとても真似が出来ない。
こんなに面白くはならない。

ところで有一の遺偈道をめくっていたら、
でてきた。
大輔君と一緒だ。
蘇東坡のこの詩は何紹基も書いている有名な物。
こんなことですませることが凄い。
ここまで踏み込めない。
by mteisi | 2012-09-02 13:32 | 書について
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これは宋代の三大書家の一人である米芾(べいふつ)の書。

私はこれまで米芾はつまらないと思っていた。
王羲之の手中にあると思っていたからだ。
ところが昨日見ていたら実に生きいきとして、
迫ってくるものがあった。
無学祖元という鎌倉時代に禅宗を伝えにやってきた
禅僧の書が浮かんできた。
米芾が入っていたんだと感じた。
祖元をとてもいいと思っていたので
米芾の見え方も変わってしまった。
そんなことを思いながら
虹縣詩巻を見ていたら
この日がでてきた。
十日隋花窈窕中
十日ばかりの桃源郷というのであろうか。

私達は五体字類や書道辞典にしばられていると思う。

こんなこと今まで考えたこともなかった。
良寛は誤字が多い人で済ませていた。
決まりがあるようで無いのが
透徹する人の知性であろうか。
自らの限界を突き抜けて
未知の世界に行くには
分かったことのアレンジでは
到底おぼつかない。
今の自分を否定する大きなエネルギーが
必要なのだろう。

たった日のことだけど
米芾の中には日の定形がないのだ。
型にはまっていると思っていたが
常に破ろうとする意図が充満していたのだ。
現代の書家には絶対この日は書けない。
頭が小さな領域の辞典になっている。
by mteisi | 2012-05-07 07:19 | 書について
平凡社書道全集
平凡社書道全集26巻と別冊2巻でこの値段。
書もここまで来てしまった。
其の1
其の2
誰か買う人はいないかな。
by mteisi | 2012-02-18 07:36 | 書について
豊福桂舟書
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「田子のうらに(二)うち(遅)いでて見れ(連)ば(盤) しろた(多)え(衣)の ふじ(志)のた(堂)か(可)ねに(二) ゆき(支)は(八)ふりつつ 」   山部赤人

水曜研究科の豊福桂舟さんが、作品を持って見えた。
人に頼まれたので作ってみたということ。
万葉集ではなく百人一首の有名な赤人の歌が書かれていた。
変体仮名が混じっているので、簡単には読めないが、
少し学んだ人なら読める程度の表現だった。

日展では漢字や仮名や調和体、篆刻といった部門があり、
漢字でも行草や、篆隷といった表現に特化する傾向が強い。
これが書風の硬直化を促進して、退屈なものになっている。
どんなジャンルにも好きにだせるし、
審査員は全てのジャンルの審査をするようにすると、
面白くなるかも知れない。
by mteisi | 2011-10-19 13:40 | 書について
印印泥其の1
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am7:42☆
白い雲がまぶしい。


 印印泥(いんいんでい)・錐畫砂(すいかくさ)・紙背透過(しはいとうか)の言葉は是非覚えてほしい。私はこれが書を評価する言葉の中で一番魅力的な言葉だと感じている。

 以前「淡遠」で顔真卿を紹介した時に印印泥や錐畫砂の意味を伝えたが、大切なことを伝え忘れていたので、もう一度おさらいしたいと思う。線の表情は印で封印する時に封泥に押した印の線のように、丸みのある柔らかい線がいいというのである。この事を教えたのが褚遂良(ちょすいりょう)だった。この褚遂良というのを忘れていた。私は唐の三大書家である、虞世南(ぐせいなん)・欧陽詢(おうようじゅん)・褚遂良を王羲之の信奉者というのであまり評価をしていなかったことに気づかされた。虞世南の孔子廟堂碑は蔵鋒の基本である指導していながらである。褚遂良の雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)は隷書的に逆入しながら抑揚の効いた伸びやかな筆致に魅力があると、知っていながらである。形がみんながよろこぶ基本中の基本だから惹かれなかったのである。

 褚遂良の楷書を印印泥のことばと一緒に指導すると、結構書は面白いことになるかも知れない。難しいことは後でという考え方があるようだが、どうもおかしい。
by mteisi | 2011-07-15 07:47 | 書について
審美眼
 間違いではなかったことは、41年前、津金隺仙先生の「審美眼を養うのが上達の捷道(はやみち)」という言葉を母への葉書の中にみつけて、それに徹して暮らしてきたこと。

 さまざまな取り組みをしたがその一つが、2ヶ月教室を休んの京都・奈良旅行。京都では古本屋で「秋艸道人の書」という會津八一の作品集が目に飛び込んできた。とても面白いと感じたので買った。旅行ガイドをみていたら「日吉館」という旅館が面白そうなので奈良へ行った。日吉館は奈良を楽しむ文人墨客のスポットで、なんと八一の常宿でもあった。看板も八一が書いたものだった。訪ねていったら奈良を楽しむ学生たちであふれていた。あらゆるすき間に布団を敷きつめて泊まらせていた。東京芸術大学の三井君と武蔵野美術大学の長枝君と気が合い、三人で奈良のあちこちを見て回った。

 二人も帰るということだし、結構見てしまったので良寛さんを見てみたいと新潟へ行くことにした。鎌倉の藍田先生に挨拶をして横浜の長枝君の家に立ち寄った。彼の家の調度品が魅力的で、とくに水屋は美しい物があふれて、普通の物だが普通ではなかった。彼のお母さんが染織家の芹沢銈介のお弟子さんで、柳宗悦の教えの中で暮らしを見つめているということだった。

 新潟では良寛を尋ね、會津八一記念館によったら、近所の書店に佐久間書店の扁額、文字の周りに赤緑黄色の彩色をほどこした棟方志功の書に出会った。帰りの京都では河井寛次郎記念館に立ち寄り、「樂在其中」と書かれた拓本の軸に度肝を抜かれた。泰山金剛経の存在を知った。今思うと、この時の旅行が実に多くのきっかけを作ったことを実感するが、その中でも一番大きな出会いは柳宗悦との出会いだった。旅を終えて、父の書架を見ていてら「柳宗悦選集」が目に飛び込んできた。辞典片手に選集を読み終えた時には、すっかり柳の虜になっていた。私の書家としての道はここから大きく方向を変えていくことになった。

 今回の「街の一隅」の存在は私に大きな力を与えてくれた。それは「審美眼が大切」という言葉を単に知識として胸に刻むだけでなく、それを日々の暮らしの中に常に活用してきたことが、この展覧会の原動力になったことを実感したからである。その重要性をこれからもしっかりと見ていきたい。
by mteisi | 2011-07-03 07:17 | 書について
お土産の袋
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娘の陽が香港に行って、
面白いものを連れてきた。
大小の字が入り交じり、
バランスを壊して大騒ぎ、
刻み込んだ線はベンシャーン。
大画面でこんな遊びはどうだろうか、
ことばでも遊びたい。
by mteisi | 2011-06-14 21:36 | 書について
露鋒と蔵鋒
 筆法を理解するする時に大切なのが、露鋒(ろほう)と蔵鋒(ぞうほう)という筆の使い方。学校でこのことを教えると、書への興味も随分ちがったものになるのではなかろうか。
 露鋒は筆先を尖らせて書く方法で蔵鋒は先を丸めて書く方法である。露鋒は上手下手が生まれるが、蔵鋒を学べば下手はいなくなる。是非蔵鋒をマスターしよう。
 因みに学校では蔵鋒の指導は行われていない。

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右の列が露鋒で書いた線で左は蔵鋒。露鋒は軽やかで薄い。蔵鋒はまろやかで重い。

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すべて露鋒で書いているが、右が軽く書いた線。左は押し気味に書いてみた。
右の5.6番目の線は右回転を加えたので、木簡調の厚味が出ている。
右回転の丸字で書くと誰でも悪くない字が書ける。

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墨がなくなった状態にして筆の穂先を突き、破筆という割った状態を作り、右から順々に続けて書いてみた。
最初の線は筆をまっすぐ立てて軽く引き、次は右に寝かせて引いた。
3番目は逆入して筆を立てて書いたもの、最後は筆先をしぼりながら刻んで書いてみた。
by mteisi | 2010-10-19 22:46 | 書について