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饗宴
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食事に関する面白い文字を紹介しよう。上の文字のまん中にあるのが盛食の器。それに人が向き合っている様子で饗(キョウ・さかもり・もてなす)の字であり卿や郷の字でもある。犠牲を料理してその香りを神に奉げ、肉を饗宴の礼でいただくのである。卿はその礼にあずかる身分のものをいう。卿のあずかる領地を郷といい、郷党の代表も政治に参加し饗宴にあずかったのである。卿事寮という役職はその礼を司るものをいい、また、宰相の宰の字は辛(肉を切る刀)で牲肉を切り分ける役のものをいう。
左の即は盛食の器に向かっている形でソク食べたいのソク。つく・すなわちの意味がある。
既には盛食の器から顔を背けている形で、もういっぱいを表わす。キで意味はおわる・つきる・すでに。
このように人はいろいろな形で現れてくる。決して人偏だけが人を表わしているわけではない。
by mteisi | 2008-08-30 20:54 | 語源で遊ぶ
芙美ちゃん
指導している児童の数は、自宅が4名、外が9名。にぎやかだった頃は自宅だけで200名を越えていた。この数からも書の将来は見えているようだ。
数が少ないからやれる授業をやっている。中学二年生の樋口芙美ちゃんは定家の「更級日記」を臨書している。小学生の頃はただ写すことだけを指導していたが、今は変体仮名を読むことや文章を理解する事を大切に指導している。段々読めるようになってきたし字も変わってきた。
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熱心に黙々と書いている。
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by mteisi | 2008-08-28 20:29 | 児童の指導
書の基本
書の基本から習いたいと来られるが、ほとんどの方が基本は小学校の時に習ったものをきちんとマスターすることと思っておられるのではなかろうか。
小学校は書写教育で書道教育ではないということを、みなさんは知っていない。書写教育は決められた形どおりに写すことで、それ以外の個人の感性や表現などとは無縁の授業。そこで学んだ基本は取るに足らないものなので、あまり気にしない方がよい。ところが、その書写教育を書道教室でもやっているから、書道はとんでもないことになってしまった。
基本とはそれが身に付けば書が理解出来てしまうほどの、内容を伴ったもののはずである。だから私は書の基本を文字を知ることに置いている。筆の使い方にも基本的なものはあるが、書の捉え方によってそれぞれなので一つということではない。だとすると基本は簡単ではない。基本を気にするよりも文字に興味を持つことが第一であろう。
小学校では一般に穂先をとがらせる露鋒という用筆法を指導している。私は最初に難しいが蔵鋒を学んだ方が内容の濃い書になると思うので、虞世南が書いた孔子廟堂碑を基にした書を参考の手本として紹介している。
また、言葉は難しい方が面白いので、大人でも知らない字などを出来るだけ紹介したいと思っている。だが、言葉を考えることも大事なので、手本でない言葉を勝手に書くことも進めている。手本の下には原初文字(甲骨・金文)・篆・隷・行・草を紹介して、記憶の片隅にでも残れば、書に対する思いが今の大人たちとは、違うものになるのかなと思う。
とにかく子供達には、色々な面白い文字があることを、上手に書くことよりも大事に伝えたいと指導に当たっている。
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by mteisi | 2008-08-26 18:29 | 書について
割れた茶碗
愛用のご飯茶碗が割れてしまった。小鹿田の柳瀬朝夫さんのものだと思っていたが、あまねや工芸店の川口さんに確かめてみると、今は引退された坂本茂木さんのものだと解かった。
小鹿田は昔ながらのしきたりの中で共同で作陶を営んでいる。最近はやりの「アート的なオブジェ風」や「ゆるめのほのぼの系」とは一線を画した技術と造形の確かさがある。だが物を選ばないと、退屈な繰り返しの仕事も多い。
1500円で手に入れた藁刷毛目碗は、凛とした姿と藁筆の大胆な刷毛目が美事だった。李朝の茶碗にも負けないかなと思って、大事に使っていたが割れてしまった。自分でボンドで接ごうと思ったが、金接ぎをすることにした。
このブログでは書だけを紹介しようと思っていたが、手仕事も大切に思っているので気にかかっているものを、紹介することにした。
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by mteisi | 2008-08-24 18:03 | 手仕事
福岡正信
福岡さんが亡くなられた。知人に「わら一本の革命」をすすめられて読んだのが、夏の日の草取りにつながっている。
不耕起無肥料の自然農法にカルチャーショックを受け、早速我が家の空き地で農作業の真似事をやってみた。その土地が区画整理で使えなくなり、たいした成果もなく頓挫。それから随分経って見つけた山の土地も、休憩所の小屋作りに3年もかけてしまい、いざ畑をとやり始めたが、栗や小楢やエゴノ木が大きく育って日陰になったのと、書の仕事が忙しくなってしまい、時々遊ぶ気持ちのいい庭になってしまった。
3年前からやり始めた棚田の田圃は、昔ながらの無農薬水田を試みている。いつかは福岡式でと思っているが、なかなか徹することが出来なくて水田以外の土地は草茫々の無法状態になっている。
福岡さんの素晴らしい農法は農協システムで管理された日本では生かすことが出来なかった。かえって外国での福岡さんの評判はとても高く、環境問題を考える人や農業に新しく取り組もうと思う人は福岡さんのことを学んだ人が多いようだ。末娘の陽の友達でイギリス人のダンカンはインドのタルミ州オーロビルでソリチュードファームを経営しており、福岡式だけでは経営が難しいが確実に福岡式の自然農法を充実させているそうだ。
私の棚田も色々な作物で充実させたいのだが、今は稲作と草刈と猪に明け暮れる日々を過ごしている。
by mteisi | 2008-08-22 23:07 | 野良しごと
正とは何
正という字もとても面白い。正しいとは一体何だろう。
漢の許慎の「説文解字」では「是なり。止に従ひ、一以て止まる」とし、ちょっと解かりにくいが、白川の説明では止まるべきところで止まることを正しいとし、正義の観念が出来た後の解釈だとしている。
「字統」によると一と止からなり、甲骨、金文の形では一は囗(い)の形で、城壁に囲まれている 邑(ゆう・むら)を表わし、止は足あとの形で、都邑に向かって進軍する意でその都邑を征服することをいうのである。
また、ある字典では正は足の膝から下を表わし、膝から下のすねの部分は曲がらないので、曲がらないことが真っ直ぐで、正の意となると、甲骨や金文の形から説いている。因みに足と正は甲骨や金文では同じに書かれているので、このようなことが起こるようである。
白川の説は実に明解。正は征の初文で、正の意味が多義化したので後に征が作られ、正は征服を意味した。その征服した人々から税を徴収することを征といい、重圧を加えて負担の義務を強制することを政だという。そのような行為を正当とし、正義とするに至るという。
白川の「甲骨文の世界」には征伐に出るのに、意にかなう占いが出るまで同じことを10回も占った例があるという。神のお告げが出るまで占っているのは、大義名分を作って戦に出る現代と少しも違わないのが面白い。
正という字も字典によって様々で、応に人の世界に正が存在しないことを証明しているといえよう。正義とはなんであろうか。
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by mteisi | 2008-08-19 00:22 | 語源で遊ぶ
白川静
「万葉集」を読み解きたいというところから始まった文学研究が、比較研究のため中国の「詩経」へと進み、様々な解釈に納得がいかず、未解読の原初文字である甲骨文・金文の解読へとのめりこむ。そして、ついには漢時代以降間違って伝えられた字源を解読してしまったのである。
この研究で漢字学界や出版社は大騒動である。何しろ正しいはずの字典の語源が間違いだらけになったのだから大変なことである。常識的には改訂版を出さなくてはならないだろうが、回収不能の厖大な出費となるのでこれらの字典は歴史的資料としてあつかわれるのであろう。
二千年の間多くの学者が挑んだ仕事である。そのすべての人が読み解けなかった文字が口である。こんな簡単なものが何故だろうと思うが、口(くち)と読んでしまったから口以外の口の付く字が不明朗な解説になってしまった。口と読む字もあるが多くは口(さい)と白川が名付けた祝詞を入れる器のことで、吉・古・舎・器・兄のように口のつく字の語源を「字統」と他の字源字典と比べてみると、白川の仕事がよく理解できるだろう。
とにかく「字統」は面白い。漢字はこんなに解かりやすかったのか、と教えられた。山や川が象形文字とは知っていたが、解の字が角と刀と牛からなり刀で牛の角を切り取る様子を表わしているのである。このように殷の時代に作られた文字は多くが象形文字だったのである。
これまでの語源字典は読んでもよく意味がわからないことが多かった。甲骨や金文で制作しようと思っても、何故こんな形になるのか理解しないままただ形だけを真似るのでは、どんなに面白い形でも前へ進む意欲がわかなかった。解読された今、これまでの上質な書を残してきた偉人達とは、文字に関する頭の内容がまったく違う書家が現れてくるだろう。そうなると歴史に新しいページを足して行けるかもしれない。
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by mteisi | 2008-08-15 10:41 | 語源で遊ぶ
はじめに
このブログはタイトルをSAIとし福岡書芸院のロゴマークである金文の才を掲げた。才は十字に組んだ木に祝詞を入れる口(さい)を架けた形で、神聖な場所を表わす文字でもある。口(さい)に納める祝詞が書であるし、才が持つ色々な意味のうち根源的な存在という意味を大切に考え、これからの活動のシンボルとしてこのロゴマークを作った。
これから無くなろうとしている文字文化のことを、思いつくままに色々な角度から紹介したいと思っている。上手な書以外の書に一人でも多くの方に、興味を持ってもらえればと願っている。
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才を甲骨文字と金文で書いてみた。
by mteisi | 2008-08-12 11:10 | 語源で遊ぶ