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甲骨文の本
甲骨文は獣骨文や契文といわれたりする。
占った日や内容そして、どのような結果になったかが刻まれており
3200年前の国の治め方が見える、貴重な資料といえる。
白川静の「字統」がでる前は、必ずしも必要な教養とはされていなかった。
絵のような文字としての存在は、私にとってこのような文字を学んでおくと、
豊かな滋養分としての、懐の広がりにつながるなるというようなものであった。
思考の絵画という趣をもつ漢字の形は、造形の組み合わせによって様子を表現している。
部品の持つ意味を知ると、知らない字でも予測が可能となる。
も一つ面白いのは、
乱の字は古い字形は亂で、左の偏は乱れている糸を上下の手で持っている様子をあらわし、
右の旁は乙の字で骨ベラの形で、ほぐして解きおさめている事をあらわしている。
それで意味はみだれるとおさめるの両方の意味を持っている。
私は「字統」に出会うまで乱はに治めるの意味があるのを知らなかった。

このように解読されてしまったら、書家にとっては必須科目となってしまった。
甲骨金文が読めない書家はトップとして国を統べることはできないだろう。
大変なことだが、書の世界も面白いことになる。

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西山太基くん今度6年の甲骨文の手作り本。

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一字一字じつに丁寧に書き上げた。
by mteisi | 2009-03-28 17:20 | 児童の指導
井上有一の墨
井上有一は世界を視野にとらえ、西欧の価値意識の中で表現する線の姿を、造形していたと思われる。たとえば用筆法にしてもナタでぶった切るという豪快なテクニックだ。墨色も繊細なにじみの妙というより、薄い墨が持つ空気や濃墨が持つ空気がでればいいという感じだが、それがかえって一種独特の色彩を生みだしている。カーボンを水に溶かして膠(にかわ)で定着させるというやり方で墨色を作り、墨を磨るという古典的な方法ではない。大量に墨を簡単に作ることができたのであろう。また、エナメルを使ったりしてイメージ通りの質感をだすために書道の領域では生まれてこない、様々な思いつきで紙に向かっている。淡墨で書いた「圓」の薄墨いろは、太い線の中に幾筋もの線のたまりができて、上品さのかけらもないが不思議で痛快な淡さであろう。形式的な伝統を拒否したその姿の奥に、書の根源を現出させようとするエネルギーを感じる。
by mteisi | 2009-03-26 21:38 | 書について
冊子「SAI」
今は何ということで冊子「SAI」2号ができあがった。

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金文の「今」の字を陶土に彫ってみた。なんとも形がおもしろい。


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墨で描いたワインセット。


これまでイメージ的にテーマらしきものをかかげた個展はやったことがあったが、
「今」をテーマにさまざまな表現を試みたのは初めてだった。
書をやらない人にも楽しめるものをと、心がけてみた。
選ぶことばの中でイメージを連動させたり、ことばをいろいろと吟味して、
面白い書を書いてみたいと思っている。
「大盂鼎」の大作は、12月にやるイベントの茶室の壁に使う予定。

この冊子に興味のある方はメールを。
by mteisi | 2009-03-20 17:24 | 自作の書
メモ
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食卓の上にメモ紙が一枚。
面白い字だなと思った。
書をやっている娘のものだった。
作品を見てもあまりいいとは思わないが、
これは書として全一だった。
字を習う前の子供の書が全一をもっている。
ところが大人になると分裂してしまうのである。
仕事から帰ってくると、もう一枚メモがあった。
これも面白い。
卒意の書といって、手紙など美を意識しないものに宿る妖精がいて、
結構やっかいだが、それが見えるようになると書の楽しみ方が変わってくる。

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さて、作品を作るとなると、分かっているのだがままならない。
そういうことの繰り返し。
思いがけず、書を見て楽しんだ.
by mteisi | 2009-03-16 17:49 | 書について
井上有一「愚徹」
初和の書家として作品が残るのは、井上有一だろうと思っている。
抽象絵画に触発され、戦後の欧米文化の表現を体現しながら、書を見つめてた人だ。
生涯「貧」を書き続け34の「貧」を残している。
有一は生のエネルギーを文字に託し極限まで振り切ろうとしたのであろう。
大戦中、横川国民学校で爆弾を受け、一瞬に焼けこげてしまった多くの生が、
彼の書に計り知れない影響を及ぼしているものと思われる。
「愚徹」とどうにか読めるマグマのような墨の塊は、
何もかも捨て去ろうと、あがく姿を見るようだ。
戦後の欧米文化の自由を、謳歌してきた自分が表現できるものといったら、
それしかない。
さて、自由とはなんだろ。
by mteisi | 2009-03-14 21:57 | 歴史的な作家と書
2009年3月12日
大燈国師「関山」と「徹翁」

大燈国師の書はとても魅力的だが、表情が様々で不思議な思いを持ちながらいつも見ている。大好きな「関山」と「徹翁」も底に流れる気宇はどちらも悠々として、包み込む大きさがある。

そして、「関山」は蔵鋒のまろやかな温か味を持ちながらスッーと立っている。それも、寸分のスキもなく立つというより、いびつな長閑さを漂わせながら堂々と立っている。
江戸時代の白隠禅師の書も素晴らしいが、「関山」が素地になっているのでなないかといつも感じる。

「徹翁」は側筆気味にグーッと左右に払った呼吸が、何ともいえない大きさを見せている。
井上有一は一瞬の凝縮するエネルギーを圧倒的な強さで表現した人で、面白いのは生涯にわたって「貧」を書き残している。初期の「貧」に後の独創的な表現とは趣の違う1点があるが、この「貧」には大燈国師の「徹翁」が頭の上にどっかと載っているようで、見事な受け取り方だとつくづく思う。
by mteisi | 2009-03-12 23:41 | 歴史的な作家と書
2009年3月7日
大盂鼎

臨書した大盂鼎を撮影。
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周代初期の青銅器「大盂鼎」に鋳込まれた文字を臨書してみた。
結局3回書いて最後の作品を表具に回した。
120×240㎝の3枚継ぎで360×240㎝の大きさの作。
写真家の梅本さんに依頼したが、狭い部屋での撮影でライティングに時間が掛かった。
この写真撮りで冊子「SAI」の準備もほぼ完了した。
「今」にスポットを当てて、一つの物語を作れたようで、
ホット一息というところ。
by mteisi | 2009-03-07 15:44 | 自作の書