会津八一
私にとって昭和の三筆は、
熊谷守一、高村光太郎、
会津八一の三人。
四番手に
井上有一が入ってくる。
書家を四番手に押せるのは、残念ながらうれしい。
室生犀星や
中川一政、
須田剋太、奥村土牛、前田青邨、
北大路魯山人など、
魅力的な書を書いた人はあまたいる。
書家は芸術的人間臭のする書を求めないので、
時代を表現する書家がなかなか出てこない。
ちょっと前まで私にとって守一が最高であり、守一のように表現したいと思っていた。
ところが、白川静を学ぶようになって、俄然八一が面白くなってきた。
口が面白い。
最近手に入れた書簡集を読んでいて、よくも抜けぬけと、と思うものがあった。
一つは自分のように書が書けて、歌を読める人間は他にはいない、
もちろん良寛を入れても構わないと。
そしてもう一つ、王羲之のような俗調な楷書など書かない。
私は自然の造作物と殷周三代(夏・殷・周)から書を学んだ。
と、いっているのだ。
痛快なことを言う人だなと、軽く思っていたが、
白川静の「字統」と共に金文を見ていくと、
漢字の構造が今までとは違う角度から、見ることが出来てきた。
造形を工夫する上で今までの書論的工夫とは
全く違う視点を持てるようになってきた。
会津八一は語源研究を発表することはしなかったが、
自分なりに徹底的に研究したのではなかろうか。
書論の中で私は世界中の文字を見たといっていた。
これは文学も含めてのことだったのかもしれない。