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池大雅
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 大雅堂こと池大雅の作品は実に悠々としている。真似しようとするがなかなかこのようには行かない。用筆は露鋒蔵鋒をを自由に使い分けて、なんともいえない表情を出現させる。これはやはり絵を描く人の筆のあつかいなのだろうか。
 大雅堂は日本の南画の創始者として画境を拓いた人である。私は多くの絵を見たわけではないが、「瀟湘八景」の富士山(?)を描いた「江天暮雪」の山の筆致に、字だけ書いていてもこんな線は描けんと思った。それは直筆で深く上り、下るときは側筆に筆を開きうすく刻みながら裾野を広げていくのである。その運筆に思わずゾクッとするものを感じた。こんな線は引いたことがなかった。
 若いときから書画を売りながら生計を立てた大雅堂は根っからのアーティスト。いかに人を喜ばせながら自分も楽しむかがテーマではなかったかと、勝手に考えるが書も様々な書体を研究している。仮名も変体仮名から万葉仮名表現までやっているので、すべての書体を書いて楽しんだのだと思う。絵を売る商いをやっていたので大福帳をつけているのだが、篆書で書いたものが残っているという。たぶん篆書を覚えるのにせっせと書いていたのだろう。因みに若いときに書いた篆書は逆入法をせずに露鋒で先を尖らせて書いている。私達は篆書や隷書を書くときは逆入法で先を丸めて書くものだと決めているが、これは常識であって真理ではない。筆法は筆法、書体は書体であって、どんな筆法でどんな書体を書いても書としては成立するのである。ところが私達は先の円くない篆書を見ると間違った筆法と勘違いするように、指導を受けているのである。私もそのように指導をしているが、本当はどうでもいいというところに書の面白味がある。
 大雅堂の書は常識を通り抜け宇宙を遊泳している。
by mteisi | 2010-10-12 14:13 | 歴史的な作家と書


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