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老子第十一章
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埏埴以爲器、當其無、有器之用。

埴(しょく)を埏(こ)ねて以(もつ)て器を爲(つく)る。
其の無に當りて、器の用有り。

埴(ねんど)をこねて器をつくる。
その空虚なところにこそ、
器としての働きがある。

空っぽの器こそ用をなすといっている。
頭の中が一杯になってしまうと、
思考も動かないし、回りも見えなくなる
という経験は確かにある。

インドを旅した時、
街の一角に小山のように捨てられた
猪口を見た。
道端にもころっと落ちている。
それを拾って帰って知人の陶芸家にみせた。
曰く、日本にはこれだけ轆轤を碾ける人は
一人もいないと言うことだった。
考えてみると当たり前、
ただのように捨てられる物を、
一日中作っている日本人なんて
どこにもいない。
何かのためで満たしている。

貧の隣に美は同居しているのか。
by mteisi | 2012-01-18 07:05 | 老子


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