三之九
唯達者知通爲一、爲是不用寓諸庸、庸也者用也、用也者通也、通也者得也、適得而幾矣、印是已、已而不知其然、謂之道、
唯だ達者のみ通じて一たることを知り、是れが為に用いずして諸(こ)れを庸に寓す。庸なる者は通なり、通なる者は得なり。適得にして幾(つ)くす。是に因る已(のみ)。已にして其の然るを知らず、これを、道と謂う。
ただ道に達した者だけが、みなひとしく一つであることをわきまえて、そのために自分の判断をはたらかせないで平常(ありきたりの自然)にまかせていく。平常ということは働きのあることであり、働くということは広くゆきわたることであということは自得(すなわち自己の本分をとげ自己の生を楽しむこと)である。ぴったりと自得したならば、[窮極の立場に]ゆきついたことになる。そこに身をまかせてゆくばかりでそのことを意識しない。それを道の境地というのである。