荘子101
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五之二
向吾入而焉、有老者哭之如哭其之、少者哭之如哭其母、彼其所以會之、必有不蘄言而言、不蘄哭而哭者、是遁天倍情、忘其所受、

向に吾れ入りて弔せるに、老者のこれを哭すること其の子を哭するが如く、少者のこれを哭すること其の母を哭するが如きあり。彼れ其のこれに会する所以は、必ず言(とむらい)を蘄(もと)めざるに而も言い、哭を蘄めざるに而も哭する者あらん。是れ天を遁れ情に倍(そむ)きて其の受くる所を忘る。

さきほどわしが部屋に入って弔ったとき、老人ではまるで自分の子をなくしたときのように哭泣し、若者ではまるで自分の母をなくしたときのように哭泣しているものがあったが、彼らが老聃のために集っていることは、きっと[その教えにそむいて]お弔いを求められもしないのにかってに弔い、哭泣を求められもしないのにかってに哭泣しているものであろう。これは(生死という)自然の道理からはずれて人生の実情にそむき、天から受けた本分を忘れたものである。
by mteisi | 2015-12-20 08:20 | 荘子


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