荘子218
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二之六
故聖人、將遊於物之所不得遯而皆存、善夭善老、善始善終、入猶效之、又況萬物之所係而一化之所待於、

故に聖人は、将に物の遯るるを得ざる所に遊びて皆存せんとす。夭きを善しとし老い善しとし、始めを善しとし終わりを善しとす。人猶おこれに效う。又た況んや万物の係る所にして一化の待つ所をや。

そこで聖人は、何物もするぬけることのできない[—すべてを包みこむ]境地に心を遊ばせて、万物をあるがままに肯定しようとする。若きを善しとし、老いを善しとし、生まれたことを善しとし、死ぬことを善しとする。人々はこうした聖人に対して模範とするのだから、ましてやさらに万物がそれにつながれ、すべての変化がそこから出てくる根源[の道]に対しては、なおさらそれを尊び模範とすべきものであろう。
by mteisi | 2016-04-14 07:36 | 荘子


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