十一
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之、如不可求、從吾所好、
子の曰わく、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖ども、吾れ亦たこれを為さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に従わん。
先生がいわれた、「富というものが追求してもよいなら、鞭をとる市場の監督[のような賤しい役目]でもわたしはつとめようが、も追求すべきでないなら、わたしの好きな生活に向かおう。」
十二
子之所愼、齊戰疾、
子の慎む所は、斉、戦、疾、
先生がつつしまれ[て対処され]たことは、祭祀のときの潔斎と、戦争と、病気とであった。
十三
子在齊、聞韶樂三月、不知肉味、曰、不圖爲樂之至於斯也、
子、斉に在して韶を聞く。三月、肉の味を知らず。曰わく、図らざりき、楽を為すことの斯に至らんとは。
先生は斉の国で数か月のあいだ韶の音楽を聞き[習われ、すっかり感動して]肉のうまさも解されなかった。「思いもよらなかった、音楽というものがこれほどすばらしいとは。」