四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首 并短歌
眞葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尒 ■(貝貝冖鳥)鳴沼 物部乃 八十友能壯者 折木四哭之 來繼比日 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾爲春乎 决巻毛 綾尒恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日
ま葛はふ 春日の山は 打靡く 春さりゆくと 山の上に 霞たなびき 高圓に 鶯鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁がねの 來つぐこの頃 かくつぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものを 馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 吾がする春を かけまくも あやにかしこく 云はまくも ゆゆしからむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 石に生ふる 菅の根とりて 忍草 はらひてましを 大君の 御命かしこみ ももしきの 大宮人の 玉桙の 道にも出でず 戀ふるこの頃
澤瀉久孝著「万葉集注釈」6より