正しい行いのことを正義だと思っているが、
正しいが一体何をさすのか分かりにくい。 辞典には正しいことが満載だと思っていたが、 どうもそうではないらしい。 正義を字統で解剖してみよう。
まずは正。 正の象形は囗と止との組合わせ。 囗は囲いで城郭をあらわす。 止は足跡の形で、止とか之(ゆく)をあらわす。 それで正は城郭に進撃することなのだ。 征伐の征が字義をよくあらわしている。 政治の政は正に攴の組合わせで、 攴は手に棒を持っている形。 他国に侵攻して税を 収めさせるようにすることなのだ。 これが正しいこととはなかなか言えない。 それで[説文]の解釈は一に止まると解釈し、 度を過ごさない、 足れるを知るというように解釈した。 これが私達にはなじみ深い。 殷時代は戦に勝つことが正しいだった。 これも今にも通じるかも知れない。
さて義。 羊と我とからなる。 羊はこの場合は牲肉。 我はわたしなのだが、 もとはノコギリの形。 我がのこぎりの意で使われなくなって、 鋸を作った。 義とは、 神に捧げる牲肉が汚れたものでないかを、 鋸で引いて確かめることをいう。 神に捧げられる神意にかなう牲肉ということで、 「ただしい」の意となる。 また、 王羲之の羲には、 我の下に丂がついているが、 後ろ脚などの肢体の一部。
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