井上有一は戦後の日本の中で、
新しい時代の書とはを問いかけながら書に向き合った一人です。
福岡であった有一展を見て、
それまで見たものとはまったく違うエネルギーの塊をそこに見ました。
それは凄い書だった。
その有一の書を機関誌の「たんえん」に何頁も紹介しました。
その中から「貧」の頁を紹介します。
有一は貧にこだわって、生涯貧を書き続けます。
貧の中に生きることの柱を見つけたのでしょう。
学校の先生として生涯を通しました。
書を学ぶのにはさまざまな費用が必要ですが、
作品を売ったり、指導したりはなかったようです。
まさに貧の生活だったでしょう。
墨も紙も大作が多かったので大量に必要です。
上質の古墨には目もくれずに、
カーボンとボンドと水で調合して作りました。
若い頃の墨象作品には黒を際立たすのにエナメルを使ったようです。
静寂とは無縁の状態で静寂をも、
表現しようとしたのかも知れません。
これは趣のある白地に下地の黒を搔きだした貧です。
絵画的でとても魅力的です。
これは大燈国師の「徹翁」に倣ったものでしょう。
これらの貧の字は生涯にわたって書いた、
その時々の書きたい貧です。
みんなは貧などご免だというでしょう、
だが有一の生のすべてが「貧」にあったのです。
ここで一瞬の生を愉しんでます。
この書が大燈国師の「徹翁」です。書にとって自分の言葉を書くことが、書なんです。たとえ一字の文字でも、そこにはその人の思いが在るのです。