
遊吉野川
正三位式部卿藤原宇合
芝蕙蘭蓀沢 松柏桂椿岑 野客初披薜 朝隠蹔投簪
忘筌陸機海 飛繳張衡林 清風入阮嘯 流水韵嵆琴
天高槎路遠 河𢌞桃源深 山中明月夜 自徳幽居心
吉野川に遊ぶ
芝蕙蘭蓀の沢 松柏桂椿の岑 野客初めて薜を披き 朝隠しばらく簪を投ず
筌を忘る陸機が海 繳を飛ばす張衡が林 清風阮嘯に入り 流水嵆琴に韵く
天高うして槎路遠く 河𢌞って桃源深し 山中明月の夜 自得す幽居の心
沢には芝や蕙・蘭また蓀が生い茂り、岑には松・柏それに桂や椿が茂りあう。野人がまさきのかずらを切り開き、仕官の隠士は冠をぬいでここにくつろぐ。巨魚を釣り上げては筌を忘れて帰り、狩猟に熱中して林の中を駈けまわる。清風のすんだ調べは阮籍の嘯きのように、流水のたぎる響きは嵆康の琴のよう。天は高く筏をあやつる舟路は遠く、河はくねって桃源の深さを思いしる。吉野の山中、この明月の夜、幽居とはかくあるものと悟りえた。