2015年 12月 06日 ( 4 )
朝歌12月6日
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うすみずのとおくひろがりわびさみし

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薄水遠広寂侘宇中
by mteisi | 2015-12-06 08:14 | 朝歌
萬葉集147
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明日香皇女木■(瓦缶・缻)殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首 并短歌
飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 下瀬 打橋渡 石橋 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎爲礼流 川藻毛叙 何然毛 吾大王乃 立者 玉藻之母許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宜君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曾臣跡 念之時 春部者 花折插頭 秋立者 黄葉插頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不猒 三五月之 益目頰染 所念之 君與時々 幸而 遊賜之 御食向 木缻之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 綾尒憐 宿兄鳥之 片戀嬬 朝鳥 往來爲君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼往此去 大船 猶預不定見者 遣悶流 情毛不在 其故 爲便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思將徃 御名尒懸世流 明日香河 及 萬代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉
飛ぶ鳥の あすかの川の 上つ瀬に 石橋渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひをゐれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる 何しかも 吾が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥せば 川藻の如く 靡かひし よろしき君が 朝宮を 忘れ給ふや 夕宮を 背き給ふや うつそみと 思ひし時 春べは 花折りかざし 秋立てば もみち葉かざし しきたへの 袖携はり 鏡成す 見れども飽かず もち月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 幸(いでま)して 遊び給ひし 御食向ふ いのへの宮 常宮と 定め給ひて あぢさはふ 目言も絶えぬ 然れかも あやにかなしみ ぬえ鳥の 片戀ひ夫 朝鳥の かよはす君が 夏草の 思ひしなえて 夕星(ゆふづつ)の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば なぐさもる 心もあらず そこ故に せむすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひゆかむ 御名にかかせる あすか川 萬代までに はしきやし 吾が大君の 形見にここを

澤瀉久孝著「万葉集注釈」2より
by mteisi | 2015-12-06 08:10 | 萬葉集
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ガ ふす
会意
臣と人からなる。
臣は眼の形。
人が臥して下方を視る形で、
臨の字は臥に従う。
臥は寝臥の意ではなく、
俯視することをいった。
寝臥に用いるのは後の転義による。
by mteisi | 2015-12-06 08:07 | 語源で遊ぶ
荘子88
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十一之十二
是不是、然不然、是若果是也、則是之異乎不是也、亦無辯、然若果然也、則然之異乎不然也、亦無辯、忘年忘義、振於無竟、故寓諸無竟、

是と不是と、然と不然と、是若し果たして是れならば、則ち是の不是に異なるや、亦た弁なし。然若し果たして然ならば、則ち然の不然に異なるや、亦た弁なし。年を忘れ義を忘れて、無竟に振るう、故に諸(こ)れを無竟に寓す。

善しとする意見と、善くないとする意見とがあり、またそうだとする意見と、そうでないとする意見とがあるが、その善しとすることがもし本当に善いのなら、善しとする意見と善くないとする意見との相異は、分別するまでもない[明白な]ことであるし、またそうだとすることがもし本当にそうであるなら、そうだとする意見とそうでないとする意見との相異は、これまた分別するまでもない[明白は]ことである。[だから善しとしたり善くないとしたり、そうだとしたりそうでないとしたりする意見は、起こりようがないわけで、そうした対立を根本的に超えるのこそ、自然の平衡ですべてを調和させるということだ。]こうして年齢を忘れ[て死生に囚われず]、義理を忘れて[善し悪しにとらわれず]、無限の境地で自在に活動することになる。そこで、すべてをこの対立のない無限の境地におくのだ。
by mteisi | 2015-12-06 08:00 | 荘子