2016年 03月 29日 ( 4 )
朝歌3月29日
朝歌3月29日_c0169176_8245596.jpg

am6:04

朝歌3月29日_c0169176_8251883.jpg

かすみぞらかがやきうすくなかばづき

朝歌3月29日_c0169176_826788.jpg

霞空淡光楚韻半月
by mteisi | 2016-03-29 08:27 | 朝歌
象_c0169176_822140.jpg

ジョウ・ゾウ ぞう・かたち
象形
長鼻の象の形。
by mteisi | 2016-03-29 08:23 | 語源で遊ぶ
萬葉集260
萬葉集260_c0169176_89942.jpg

仙柘枝歌三首
霰零 𠮷志美我高嶺乎 險跡 草取所奈知 妹手乎取
霰ふり 𠮷志美が高嶺を 險しみと 草取りそなち 妹が手を取る
 右一首、或云、吉野人味稻与柘枝仙媛歌也。 但見柘枝傳無有此歌。

澤瀉久孝著「万葉集注釈」3より
by mteisi | 2016-03-29 08:20 | 萬葉集
荘子203
荘子203_c0169176_7471771.jpg

一之二
雖然有患、未知有所待而後當、其所待者、特未定也、庸詎知者所謂天之非人乎、所謂人之非天乎、且有眞人、而後有眞知、

然りと雖も患あり。夫れ知は待つ所ありて而る後に当たる。其の待つ所の者は、特(ひと)り未だ定まらざるなり。庸詎くんぞ、吾が謂わゆる天の人に非ず、謂わゆる人の天に非ざるを知らんや。且れ真人ありて、而る後に眞知あり。

けれども、ここにはなお欠点がある。いったい認識は、その標準がそもそも確定しないのだ。[わたしは、自然と人間とを分けて述べてきたが、]わたしのいう自然があるいは人間のことではないのか、わたしのいう人間があるいは自然ではないのか、それはまったく分からない。そこで、真人がいてこそ、はじめて真実の認識があることになるのだ。
by mteisi | 2016-03-29 08:07 | 荘子